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アンダーグラウンドワールド

シーンの発展や拡張は音楽的な進化だけではない。インターネットがまだ浸透していない時期において英国以外のシーンへの進出も必要であることは明確であった。

 

ドラムンベースの世界的隆盛

クラブミュージックシーンの2大マーケットであるアメリカと日本は、当時の英国のレーベルやDJからまず制覇する国であった。時は1996年前後SOURやMetalheadz、ReinforcedやGanja Crewといったレーベルの面々は、東京はマニアック・ラブ、ニューヨークはKonkrete Jungleといった箱を熱狂の渦に巻き込んで行った。他にもパリ、チューリッヒ、バルセロナといったヨーロッパの各都市やオーストラリアやシンガポールといったアジアオセアニアの地域にも着実にシーンは根付き、また若きクリエイター達がドラムンベースのトラックを作り始めようとしていた。シーンの拡大には英国のDJだけではなく、現地のプロデューサーやプロモーターの力が働いていた。多くのレーベルやDJ達、そして現地の彼ら彼女らの努力によって、ドラムンベースの音は世界中に浸透をしていった。

 

クロスオーバー

ドラムンベースの音楽的進化としては他ジャンルとの相互作用がある。ハウスやテクノは、ジャングルとドラムンベースの成長に絡み合っていた。FabioやGrooveRiderは、ストリクトリー・リズムとニュー・グルーヴのハウス・サウンドがジャングルと繋がっており、ドラムンベースはハウスの歴史と結びついているという発言をしている。

ドラムンベースが取り入れたテクノサウンドも存在する。Andrea Parkerの「Melodius Thunk」やInnerzone Orchestraの「Bug in the Bassbin」などだ。特に後者は1995年において全てのDJセットでスタンダード曲となりフロアを沸かせた。相互的にドラムンベースをチェックする層がテクノ・ハウスシーンにも多くなり、フランスの著名DJ Laurent GarnierはDJセットの中にドラムンベースのセクションを加えるようになった。

DJスタイルでフロアを踊らせるトラックではなく、ブレイクビーツ・サイエンスを追求する実験派アーティストも登場するAphex TwinのRichard D James、μ-ZiqのMike Paradinas、Luke Vibert、SquarepusherのTom Jenkinsonなどだ。彼らはビートを切り刻み、分解されたブレイクビートを難解で複雑なシーケンスと融合させ、奇怪なグルーヴを作り上げた。異端であり、そのように認められていながら、彼らが放ち出すサウンドは間違いなく迫力があった。

英国ドラムンベースの始まりの隆盛

1990年代の半ばになると、ドラムンベースのビートは、英国に熱狂的なエネルギーとリラックスしたバイヴスを生み始める。数々の名曲も多々誕生した。

ドラムンベースはコンピレーション・アルバムによって繁栄したジャンルだった。ロンドンを除く英国の都市においては、アンダーグラウンド・チューンのコンピレーションはシーンの拡がりに確実に奏功した。

 

Goldie : Timeless

Goldieはテクノロジーの可能性を探り続けていた。Reinforced Recordsの所属であり4HEROのMarc MacとDegoとともに、究極のアンビエンスを求めて数え切れないほどのテープの音をサンプリングして、リサンプリングをして、音を変形させ、極上のトラックを作り上げた。創造性に富み、高度で、細部に渡り容赦なかく強力で、未踏の音景を探検した。

 

Diane Charlemagne

ダイアン・シャーラメインは、英国出身のシンガーソングライターで、ジャングルやハウスのMC界のディーバだ。ソウルフルで聴く者の心に響きわたる歌声をGoldieの「Angel」「Inner City Life」や、ハウストラックではSatoshi Tomiieの「Inspired」に吹き込んでいる。

 

DJからLIVEヘ

ホーム・リスニングの領域で浸透をし始めたドラムンベースは、スタジオからフロアへとプレイスタイルを持ち込む必要があった。ジャズ・ジャングリストのAdam Fがリリースしたジャズ・トラック、バンドの生演奏とMC Conradのボーカルをフューチャーした「F JAM」のリリース・ライブツアーでは、シーンに多大なる影響を与えた。

 

BBC Radio One

Kool FMやKiss FMや海賊放送のラフなサウンドを流す放送に加えて、BBCはブラックミュージックとクラブミュージックに焦点を当てた企画をスタートする。それは、ジャングル・シーンの歴史を追った「One in the Jungle」という番組である。大手の、しかもBBCがシーンに関わる事はアンダーグラウンドのコミュニティーからすると大きな反発が起こった事は事実ではあるが、資金とドラムンベースを求めているリスナーが十分いるというマーケティング結果により実現した。Roni Size、DJ Krust、Kenny Ken、Micky Finn、Nicky Blackmarketと言った錚々たる面子がDJを担当した。コミュニティの嫌悪に反して、BBCは英国のシーン拡大の一翼を担った事は間違いない事実と言える。

原始ドラムンベース

イギリスが本拠地と言われる音楽ジャンル「ドラムンベース」。ジャングルと共に1990年代初頭に発祥したと言われる。パンクと並んでUKオリジナルの音楽であり、ベースをソリッドに、スマートに、ファンキーに、ヒップホップのビートを倍速にしたブレイクビーツミュージックである。

 

ブレイクビーツ

ブレイクビーツは、ジャズでもファンクでも多種多様な音源をサンプリングして、好きなようにリズムのパターンを作り上げる。ビートをブレイクして自由に組み立てる音楽制作方法であり、ヒップホップを始めドラムンベースにもブレイクビーツを使っている。

 

ドラムンベース

ドラムンベースの楽曲のリズムは大体BPM150から170程度である。と言ってもベースに注目すると、比較的ゆったりと進む楽曲も多い。ジャジーな楽曲もアンビエントな楽曲もある。ラスタファライの方々も多く住むイギリスの音楽ということもあってかダビーな楽曲も多い。

ドラムンベースはヒップホップのリズムを倍にすると、ぴったりはまる。DJの前でMCがマイクを握ることもある。ドラムンベースのパーティではビート二拍で音を取って踊っている人も良く目に止まる。ヒップホップのパーティでライブの合間にターンテーブルでサンプリングで遊んでいたDJがブレイクビーツの音を流し始め倍速でビートを打っていたらドラムンベースのリズムが出来たという一説もある。

次からはドラムンベースの歴史を見てみよう。

アンビエントドラムンベースとジャズステップ

反逆のラガ・ビートでジャングル・レイブが盛り上がる中、切り刻まれたビート、浮遊するようなアンビエンス、そしてジャジーなフレージングを組み合わさせ、ホーム・リスニングにも適していたサウンドが登場する。それはドラムンベースと呼ばれた。ドラムンベースはあらゆるジャンルから音楽的要素を吸収し、音楽の境界線を広げようとしていた。

 

Ambient Drum’n’bassとJazzStep

アンビエントでスムーズなドラムンベースは1991年から既に起こっていた。少数ではあったが、ダークの時期からメローなビートを追求していたDJは存在していた。その代表格はLTJ Bukemである。1994年の終わりに近づくとブレイクビーツの構造が近しいWeather Reportを始めとするジャズ・フージョンのリズムがサンプリングソースとなっていった。それにより、アシッド・ジャズやレア・グルーヴの有識者がシーンに影響を及ぼし始め、FabioやGrooveriderもDJセットの中でジャズ・サウンドを混ぜ合わせるようになる。ブリストル出身のDJ Krustの「Jazz Note」はオフ・ビートのエレクトリック・ピアノフレーズと流れるようなストリングス・ビートが混ざり合う名曲だ。ロンドン出身のAlex Reeceの「Pulp Fiction」も、高々と鳴り響くホーン・サウンドに跳ねるシンプルなブレイクビーツが融け合う当時の名曲である。

 

LTJ Bukem

アシッドジャズの重鎮であり2016年のRainbow Disco Clubにも出演したGilles PetersonやTim Westwoodが回すヒップホップ、ソウル、レアグルーブを聴いて育った彼は、完全なる80年代のソウルボーイだった。ジャズ・ファンクとフージョンをルーツに切り刻んだブレイクビーツを乗せた「Logical Progression」は未来を灯す浮遊感の漂う新しいサウンドであった。ダークなシーンに暖かい新たな展望を与えた「Logical Progression」は、文字の如く論理的進化であった。
シーンに華々しく登場したトラックは1993年にリリースされた「Music」である。厳粛なコードがウッドベースの低音と混ざり、The WinstonsのAmen Brotherの切り刻まれ、歪曲されたブレイクビーツがうっとりするほどファンキーなリズムを織り成していた。

ジレンマからの昇華

1994年当時、ジャングルのシーンは、確かにロンドン中心のマーケットに向けた地下ビジネスを形成することに成功していた。しかしながら、メディアに目を向けるとシーンを正確に発信していた媒体はファンジンと海賊放送に限られていた。

 

マス・メディア

DIYな活動によりジャングル・シーンを担っていたDJやプロデューサーが設立していたレーベルは、活動を広げるために広い消費者層を求めていた。ここに、リアルでアンダーグラウンドを追求する姿勢と経済的に発展したいという対立する意見が生じることになる。

アンダーグラウンド・ダンス・ミュージックを取り上げていたMTVの「Partyzone」は、ジャングルミュージックを取り入れていた。大手レコードにセルアウトをした元海賊放送局であったKiss FMは、うねる需要を追波にジャングル・シーンを取り上げていた。ジャングルは単にアンダーグラウンドのものではなくなってきていた。しかしながら、シーンのうねりを真に理解しているメディアをプロモーターは数少なく、シーンのプレイヤー側ではリアルでレイジなアナーキズムとビジネスとメディアのコマーシャリズムが派閥を背景にぶつかり合う事となる。

 

オーバーグラウンドに向けて

望みはシーンのアンダーグラウンド性とリアルさを保ち、同時に少し金儲けをしたかっただけだった。ビジネスのゲームに参加したがらなかっただけであったが、知らずの内にゲームに参加するように時代は進んでいった。

 

Goldie

泣く子も黙るGoldie。Metalheadzの首領、大英帝国勲章の金歯のGoldie。彼は音を進歩させることに没頭することと並行し、ビジネスの威力を利用して、メジャー・レベールと取り組むようになる。壮大で荘厳な24分間の大作「Timeless」をロンドン・レコーズとの契約につなげ、アーティスティック・コントロールは、すべてGoldieに委託されていた。

ジャングルはオーバーグラウンドの空気が漂ってきた。そのビジネスを背景に、野外やスクワットを舞台に踊り狂う事でエネルギーを爆発させるハードでラフなジャングルサウンドと新芽を分かち、ホーム・リスニングにも適するスムーズなメロディアスでドラムンベースが登場する。

 

フロアはこう叫び続けるのだ

Rewind!! Make some Noise!!!

セカンド・サマー・オブ・ラブを越えて

反骨の音楽ジャングル。1980年代後半のセカンド・サマー・オブ・ラブの時代に政府の抑圧を受け続けたDIYパーティは、90年代に入ると次々と減少し、クラブが続々と閉鎖され、DJやプロデューサーのメディア露出も少なくなっていく。1990年から1993年の英国景気後退期には世相を反映した闇の音が登場する。

 

ダーク

誰も信じるな。退廃で荒廃。内面。絶望。悲観。反抗。闘争。憎悪。愛情。拡散。危機。1990年代前半の音は、人のもろさを見せつけ、テクノロジーに支配される暗い未来を感じさせる。Doc Scott、Goldie、4 Hero…ビートを刻み、ストリングスの不協和音と映画から取り込んだサンプリング音を持ち込み退廃的ながら爆発的な音楽を作り出した。時代と音の背景は1980年代に日本車の煽りを受け自動車産業を壊滅されデトロイトで誕生したテクノシーンに近い。

 

ラガジャングル

ラガも反逆者の音楽だ。白人文化に対応するための多民族文化が団結した音楽だ。レゲエ・サウンドシステムの伝統にかっちりルーツを持ち、戦闘的なレゲエ・ビートとダブ・エフェクトが合体し、レゲエの如くパトワの言葉でMCがマイクを握る。Buju Banton、TopCat、Shabba Ranks…ブレイクビーツ・ジャングルとラガ・ボーカルは互いの音を引き立たせた。1993年から1994年にかけてはジャングル・イベントやクラブ・ナイトも力を取り戻し定期的にイベントを開催するようになる。シーンが徐々に形成されてきたこの時代、ラフでハードで土臭いジャングルと分岐をした新しいスタイル、メロディアスなドラムンベースが登場してくる。

 

そしてフロアはこう叫ぶのだ

Rewind!! Make some Noise!!!

ブレイクビーツのルーツ

ブレイクビーツ、これはニューヨークはブロンクスのストリートで、ジャマイカ出身のDJであるクール・ハークことクライブ・キャンベルによって発明されたと言われる。

 

ブレイクビーツの誕生

1967年にニューヨークに移り住んだハークは、レゲエのレコードをかけても客が反応しない光景を目の当たりにする。そして、インストのブレイクで客が興奮することから踊りやすいファンクを渇望していることに気付く。短いブレイクを引き延ばして長くかけ続けるにはどうしたらよいか..彼はそのために、2台のターンテーブルで、同じレコードを1枚ずつ回すテクニックを開発し、ブレイクをつなぎ続け、この同じ小節をつなぎ続けるこのスタイルを「ブレイクビーツ」と呼ぶようになった。

70年代から80年代を通して、ブレイクビーツはヒップホップのバックボーンとなり、それに合わせてBボーイたちはワイルド・スタイル・ブレイクダンスを発展させていった。

 

80年代前半のロンドン

80年代の初頭になると、オールドスクールデザインが痺れるラジカセ、ゲットーブラスターからヒップホップ・ビートを爆音でかき鳴らし、ロンドンでもBボーイがダンスに興じていた。

このブレイクビーツが、ベルギーのニュー・ビートにも影響を受けながら80年代後半のセカンド・サマー・オブ・ラブの時代を追い風にメインストリームの音へと変貌を遂げていく。

ジャングルのルーツ

ジャングルは、レイブ、ヒップホップ、レゲエ、ソウル、R&B、ジャズ、テクノといった色々なジャンルの影響を受けた音楽だ。派生したドラムンベースはまさに、この30年間のテクノロジーを基盤としたブラック・ミュージックのハイブリッド音楽である。

どの音楽の発展も決定的な出発地点が見つけることが難しいように、ジャングルも出発地点を見つけることが難しい。そして、音楽以外のアートとも同様に、世の社会的、政治的、経済的な要因と深い関わりがある。

 

ロンドン創世記

時は1988年、所謂セカンド・サマー・オブ・ラブである。ロックで言うならばマッドチェスター・ムーブメント、映画で言うならば24アワー・パーティ・ピープルの時代。

打ち込み音の主流はアシッド・ハウスだ。田舎の野外であったり廃屋や倉庫をスクワットして開かれるDJブースからサウンドシステムから何から何までDIYで作られた海賊的パーティで数多くのイベントが開催された。

しかし、このムーブメントは1990年代前半に政府の圧力により終焉を迎えることとなる。2000年以降も留守電で場所を聞いてたどり着くスクワットパーティは開催されてはいるが、ピークは1990年代前半である。

 

ブレイクビーツとの融合

抑圧されたパーティ創造者。その怒りを反映するかのように、サウンドはよりアグレッシンヴに変化していった。サンプラーを手にする人が多くなるにつれ、長い間敬愛していた新しい音楽的要素が浮上した。それはブレイクビーツである。

音の周波数

音の周波数は、ざっくり、低域、中域、高域に分けられる。

  • 低域:「グルーブ」、「リズム」
  • 中域:「重さ」、「パワー」、「エネルギー」
  • 高域:「メロディー」

 

中高域

中高域はだいたい150Hzから350Hzである。

300Hz~600Hz辺りのLow Midは、Mix全体を通してもモコモコとする帯域。
800Hz~2KHz辺りは、コード感や音程の存在する楽器にとって、メインの帯域。
(人間の声は800~1.2KHz辺りに最も集中している)
1.3KHz~2Khz辺りも、人間の耳では特に耳触りな音が響いている様に感じる。

 

高域

2KHz~4KHzと4KHz~7KHzはスネアのアタック音が非常に多く詰まっており、後者はKickのアタック音=存在感を出すのに良い部分。この辺りの成分を持ち上げると、「バチッ」という音の成分が強くなる。